「発達障害は遺伝か?」問題

発達研究

発達障害は遺伝か環境かの二択なのか?

発達障害について語るとき、「遺伝なのか、環境なのか」という問いはよく出る。44歳で診断を受け、今も通院しながら働いている私にとって、この問いは単なる学術的な話ではなく、人生そのものに関わるテーマだ。

私はこれまで、仕事でつまずいたり、人間関係で悩んだり、休職したり、どうにもならない自分に落ち込んだりしながら生きてきた。それでも今、なんとか社会生活を送れている。その実感があるからこそ、「遺伝だけでは語れない」「環境は無視できない」「生き方との順応が大事」と思っている。

この記事では、児童精神科医の杉山登志郎氏の研究や言葉を紹介しながら、私自身の体験も交えて、発達障害を「遺伝 × 環境 × 生き方」という視点で考える。

■ 遺伝の影響は確かに強い。でも、それだけでは決まらない

まず、発達障害に遺伝的な素因が強いことは、科学的に繰り返し示されている。杉山登志郎氏は、双生児研究の結果を次のように紹介している。

「双生児研究では、2682組のオーストラリアの調査がある。一卵性双生児と二卵性双生児の非行の罹病率を調べると、男女差を含めて、生物学的な素因のほうが、環境因よりも圧倒的に強い影響を持つことが科学的に示されたのである。」

一卵性双生児は遺伝子がほぼ同じ。そのため、特性が似ていれば「遺伝の影響が強い」と判断できる。ただ、ここで誤解してはいけないのは、「遺伝=決定」ではないということだ。

杉山氏は、遺伝子の働きについてこう述べている。「遺伝子が体の青写真や設計図というよりも、料理のレシピのようなものであることが明らかとなってきた。」

同じレシピでも、材料の状態や調理環境によって仕上がりは変わる。遺伝子も同じで、環境によって発現の仕方が変わる。「DNAの情報がメッセンジャーRNAによって転写され、タンパク質の合成が行われる過程で環境の影響を受ける。多くの状況依存的なスイッチが存在し、環境との相互作用の中で差異が生じる。」

つまり、遺伝子は環境によってオン・オフが切り替わる。妊娠初期の喫煙でスイッチが入る遺伝子があるという例は、その象徴だ。

■ 「虐待環境でのみスイッチが入る」MAO-A遺伝子の話

杉山氏は、遺伝と環境の相互作用を示す代表例として、MAO-A酵素の遺伝子を挙げている。「この遺伝子を持つ児童は攻撃的な性格を発現する傾向があるが、すべての児童がそうなるわけではない。虐待環境下においてのみスイッチが入り、攻撃的な傾向が発現する。

この話は、私にとってとても印象的だった。遺伝子は「可能性」を持っているだけで、その可能性が現実になるかどうかは環境次第。ということ。これは発達障害にもそのまま当てはまると思う。

■ 社会の抑制が強いと遺伝の影響は弱まり、弱いと強まる

杉山氏はさらに、遺伝の影響が社会環境によって変動することを示す研究を紹介している。「社会的に極端な状況下で遺伝的素因の影響は低くなり、その抑制が消えると遺伝性によって決定される率はより高くなる。」

具体例として、アルコール依存では「既婚者では発現が低く、未婚者では高くなる」、初体験年齢の遺伝性「戦前(社会的抑制が強い時代)では低く、戦後(抑制が弱い時代)では高い。
つまり、
社会のルールや抑制が強い(=自然状態ではない極端な環境下)と、遺伝の影響は弱まる。逆に、自由度が高い環境では、遺伝の影響が強く出る。この話は、私自身の実感とも重なる。

■ 私の話─学生時代はギリ乗り切れたが労働は…

私は子どもの頃から「ちょっと変わっている」と言われることが多かった。
当時は発達障害という言葉も一般的ではなく通知表には、「意見が独特でもう少しほかの人のことを考えて接するといいと思います」「休み時間のチャイムを忘れてずっと虫取りをしています」といった評価だった。大学卒業までは空気を読まずに意見して先輩の怒りを買う、マイペースで試験に臨み留年する、といったこともあったが、まあその場・その時間だけの問題だと思って乗り切った。

大人になってからは一転。仕事という生活上かかせない、ズル休みもできないミッションが日々続くなかで苦労の連続だった。新人誰もがやらされる事務処理でそれは露呈した。以下は同類の皆様なら馴染みのある困り事であろう。

  • 複数のタスクを同時に管理できない
  • 時間の見積もりと優先順位付けが甘い
  • 皆が使うマニュアルが理解できず使い勝手も悪い
  • 独自のやり方でやるので周りも手助けしにくい

こうした特性が積み重なり、新人のときのパフォーマンスはすこぶる悪く評価は最悪。
今も一般就労で働き新人のような事務作業もないが、出勤すると過集中気味に仕事をしてしまい、昼休みは雑談もネットサーフィンをする気力もない。午後に備えて全力で昼寝をしないと体力がもたない。正直、不便だし、しんどい。

ほかの人はそれほど大変そうじゃないのに、自分だけなぜ?とひたすら訳もわからず自分を呪いもがき続け、ようやく44歳で発達障害(ADHD)という診断を得てから少しましになった。それでも私は、「環境要因は無視できない」と考えている。

■ なぜ環境を重視するのか──「それでも私は生きている」から

私が環境要因を重視するのは、先の杉山氏の学術的な理由だけではない。自分自身の人生を振り返ってみて、環境が違っていたら、私はもっと生きづらかったかもしれないと感じるからだ。

たとえば、

  • 理解のある上司に出会えたときは、相談するのが苦ではなくなった
  • 仕事の裁量が比較的自由だったときは、高いパフォーマンスを発揮できた
  • 通院や服薬で、仕事を休まずに済んだ

こうした環境がなければ、私は今のように働けていなかったと思う。発達障害の困りごとは、しばしば「本人の資質の問題」と捉えられがちだ。でも、私は思う。

人は環境によって、できることが変わる。
できるようになることもあれば、できなくなることもある。

身体障害のある人が、使える機能を活かして社会適応しているように、発達障害も「苦手を補う環境」があれば、ずっと生きやすくなる(はず)。

 

■ 二次障害が多いのは「発達障害だから」ではなく「環境のストレス」が大きいからでは?

発達障害の人は、うつ病などの精神疾患を併発しやすいと言われる。でも私は、これは発達障害そのものの性質というより、

  • 失敗が続く
  • 責められる
  • 誤解される
  • 自己否定が積み重なる
  • 無理を続ける
  • 相談できない

こうした「環境のストレス」が大きいからではないかと思っている。身体障害は外から見えるが、発達障害は見えない。そのため、周囲の理解が得られず、無理を重ねて心が折れてしまう人が多いのだと思う。

■ 福祉制度は必要。でも「遺伝だから仕方ない」で終わらせたくない

私は福祉制度(自立支援医療・障害年金・就労移行支援・ヘルパーの活用等)の利用には賛成だ。必要な支援は遠慮なく使うべきだし、予算があるならもっと充実させてほしいと思う。ただ、こうも感じている。

「遺伝だから仕方ない」と結論づけてしまうと、環境調整の努力が止まってしまう。

福祉にかかるコストは大きな視点でみれば社会保険料の負担にもつながり、言いたい放題要求できるものではない。だからこそ、環境要因の視点から困りごとを解決するアプローチも、もっと重視されるべきだ。

  • 仕事の進め方を変える
  • 役割分担を見直す
  • 休憩の取り方を工夫する
  • 周囲の理解を得る
  • 自分の特性を知る

こうした「環境 × 自分の力」の調整は、遺伝の有無に関係なく誰にでもできる。

■ まとめ──発達障害は「遺伝 × 環境 × 生き方」で理解しては?

発達障害は遺伝か?この問いに対して、今の私はこう答えたい。

  • 遺伝的素因は確かに強い
  • でも、環境によって発現の仕方は大きく変わる
  • 社会的抑制や環境調整で困りごとは軽減できる
  • 遺伝を理由に諦めるのではなく、環境に適応する工夫が大切
  • 福祉制度は必要だが、環境改善の視点も同じくらい重要

発達障害は「治すべきもの」ではなく、(まあ治そうとしても治しようがないけど)
環境と折り合いをつけながら生きていく特性
だと私は思っている。そして、遺伝か環境かという単純な対立を超えて、
「どう生きるか」「どう環境を整えるか」
という視点こそが、当事者にとって最も現実的で、最も希望のあるアプローチだと感じている。

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