選択がつくるもの

つぶやき

Xのスペースで会話をしている中で、「選択」というテーマについて2つの印象的な気づきがあった。どちらもまったく別の文脈で起きた内容だが、振り返ってみると同じ根っこを持っている。それは、“自分がどの選択をするかで、場の空気も、学びの意味も、そして自分の「好き」という感情の形さえも変わる”ということだ。

1つ目の気づき:語らないという選択が場を守ることもある

ある人が、発達障害を持つ当事者として趣味のオフ会に参加したときの話だ。
その場はあくまで「趣味」を楽しむための集まりで、専門的な議論をする場ではない。ところが偶然、発達障害に絡む不登校についての話題が出た。

普通なら「当事者または知識のある人として話したほうがいいのでは?」と思う人もいるかもしれない。しかしその人は、あえて専門知識を出して意見する、という深入りはしないという選択をした。
理由はシンプルだ。

その場の目的は“趣味を楽しむこと”であり、専門的な知識を持ち込むことで空気が変わる可能性があったから。

結果的に、その判断は正しかった。
話題は軽く流れ、場の雰囲気は保たれ、参加者全員が心地よく過ごせた。
この出来事は、「語ること」だけが正しさではないということを改めて教えてくれる。
当事者であること、知識があることは確かに価値だ。でも、それを“いつ、どこで、どれくらい出すか”はまた別の話だ
語らないという選択もまた、場を尊重する立派な行動である。

2つ目の気づき:勉強の意味は選択によって変わる

もうひとつの気づきは、勉強についての話題から生まれた。
ある人にとって「勉強」とは、大学受験のための試験勉強を指す。
しかし、別の人にとっては、人生の中で興味を深めたり、技術を磨いたりする行為そのものが勉強になる。

つまり、勉強とは“何を選ぶか”によって意味が変わる行為なのだ。
受験勉強を選ぶ人は、それが人生の選択肢を広げる手段になる。
一方で、受験を選ばなかった人でも、好きな分野を掘り下げたり、仕事に必要なスキルを磨いたりすることは、間違いなく「学び」だ。

どちらが正しい、どちらが偉いという話ではない。
選んだ道に応じて、勉強の形が変わるだけで、それぞれに正当性がある。
この視点に立つと、「勉強していない人」なんて本当はいないのかもしれない。
人は誰しも、何かを選び、何かを学びながら生きている。

価値観としての“好き”を選ぶということ

これらに気付く中で新たな問いが生まれた。それは「人は本当に自分の感覚で何かを選択しているのだろうか?」という問いだ。ここで思い出したのが、次の事例だ。

「2004年に科学誌『Neuron』に発表された研究によれば、ブランド名を隠してコーラを飲むと、味覚や快楽に関わる脳の部位が反応した。一方、ブランド名を見せて飲ませた場合、コカ・コーラだけは短期記憶や連想など高度な認知機能をつかさどる部位が活性化した。つまり、コカ・コーラの“好き”には味だけでなくブランドイメージが影響している可能性がある。」

この研究が示しているのは、
人は「味として好き」よりも「価値観として好きでありたいもの」を好きだと思い込むということだ。
これは、選択の話と驚くほどつながっている。私たちは、五感を通じての“好き”よりも、
“物語としての好き”を選ぶことがある。

自分を振り返っても、突出した技は持っていないけど病気を乗り越えて出場したフィギュアスケーターを応援したくなったり、年齢的には難しいけど「俺にはSASUKEしかないんです」と人生をかけてスポーツアトラクション番組に打ち込んだ一般人に共感した経験がある。

そしてこの「価値観としての好き」を選ぶ行為は、勉強や生き方の選択とも同じ構造を持っている。

ここまでの3つの気づきに共通しているのは、選択はその人の物語を形づくるということだ。

・語らない選択は、場を守るという物語をつくる。
・勉強の意味を選ぶことは、自分の人生の軸をつくる。
・価値観としての“好き”を選ぶことは、「自分がどんな人間でありたいか」という物語をつくる。

選択はいつも静かで、誰にもいや自分でも気づかないことも多い。でも、その無意識にちかい積み重ねがその人の生き方をつくり、周囲との関係をつくり、未来の可能性をつくっていく。
スペースでの何気ない会話の中で、そんな当たり前のようで見落としがちなことに気づけたのは、大きな収穫だった。

まとめ 選択=産み出される

選択は、正解を当てるゲームではない。
その場にふさわしい行動を選ぶことも、人生の中で自分にとって意味のある学びを選ぶことも、そして価値観としての“好き”を選ぶことも、その人の優先順位(短期)や価値観(長期)というフィルターを通して産み出されるものだ。

だから、他人の選択をジャッジする必要はないし、自分の選択を過小評価する必要もない。(と言っている自分は無意識レベルで自分を過小評価しがちなのだが)

そして、「この人は人生(またはこの瞬間)で、何を選択して自分の物語をどう紡いでいるのだろう?」と考えると、人の話を聞くのが楽しくなるし、その人への興味も湧く。

選択とは実に興味深い。選択の切り口は傾聴法としても使えそうだ。今回は思ったことを軽くつらつらと書いたが、選択というテーマについて、また別の機会に書こう。(忘れっぽいのと気分屋なのでずっと先かもしれない)

 

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