「テミスの不確かな法廷」が教えてくれた職場との出会いの大切さ

発達研究

松山ケンイチ氏主演のNHKドラマ『テミスの不確かな法廷』にどっぷりハマっている。単なるリーガルドラマではない。各話の事件の真相を追う物語でありながら、その中心にあるのは「発達特性を抱えたまま働くとはどういうことか」という問いだ。

主人公・安堂清春(あんどうきよはる)は、幼少期にASDとADHDの診断を受けた裁判官。彼は自分の特性を「親のしつけのなさ」「自分勝手なわがまま」と誤解され、誰にも共感されず、いじめを受けながら育った。そんな中で偶然手にした六法全書に「社会のルールがここに載っている」と救いを見出し、法曹の世界を目指す。しかし、実の父親である有名検事からは「お前に裁かれる人の気持ちを考えれば、発達障害はカミングアウトはすべきでない」と突き放され、ここでも心を閉ざすように生きてきた。
そんな安堂が前橋地裁第一支部に赴任し、そこで働く上司や仲間との出会いの中で考え方が少しずつ変わっていく。特性ゆえの戸惑いや衝動、こだわりが周囲との摩擦を生みながらも、同時に彼の本質が浮かび上がっていく。
私は発達障害を抱えながら長く働いてきた一人として、このドラマに強いリアリティを感じている。安堂の姿は、過去の自分の痛みや苦しさを鮮明に思い出させる一方で、「もし自分がこんな職場に出会えていたら」と胸が締めつけられるような思いにもなる。この記事では、発達障害当事者の視点から見たドラマの魅力と、そこから浮かび上がる“働く環境の大切さ”について考えてみたい。

発達障害の自分から見たリアリティ

毎回ドラマの冒頭で出る安堂の語り。「僕は宇宙人。地球人の争いごとを裁くのが仕事だ」

この言葉は、社会に馴染めない自分を守るための“自己設定”だ。発達障害の当事者には、こうした「自分を守るための物語」を持つ人が少なくない。私自身も、社会の中で浮いてしまう感覚を抱えながら働いてきた。だからこそ、安堂が“普通”を装いながらも、ふとした瞬間に特性が表に出てしまう姿は、他人事とは思えない。(ちなみに発達障害界隈ではこのような装いを過剰適応という)
ドラマでは、安堂のこだわりの強さ、空気の読めなさ、突発的な行動が丁寧に描かれている。事件が気になればジャージ姿のまま現場へ向かい、検察官でも弁護士でもないのに聞き込みを始めてしまう。これは常識的には“あり得ない行動”だが、発達障害の視点から見ると「気になったら確かめずにはいられない」という衝動は非常にリアルだ。
また「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません」と安堂がよく使う言葉は、発達障害の人が世界を理解するための“基本姿勢”に近い。曖昧さを嫌い、理解できないまま進むことができない。私自身も、仕事で曖昧な指示を受けると動けなくなることがある。安堂の言葉は、そんな発達特性を持つ人を肯定してくれるように感じた。

作品が描く“特性の活かされ方”

ドラマの魅力は、安堂の特性“事件解決の鍵”として描かれている点だ。彼は人証主義(書類よりも人の言葉を重視する)の裁判官で、被告人や関係者の言葉の揺らぎ、表情の変化、矛盾に敏感だ。これはASDの人が持つ細部への強い注意力がポジティブに働いている例だろう。第5話では、書証主義(弁護人や警察が出した書類を重視する)の落合判事補と対立しながらも、最終的には安堂の視点が事件の真相に迫る。
落合が安堂のやり方を理解し、二人の視点が重なった瞬間、物語は大きく動き出す。この展開は、発達障害の特性が“周囲と噛み合ったときの強さ”を象徴している。
発達障害はしばしば普通の人と比べて「何かが欠けた状態」として語られるが、実際には偏りであり、環境次第で強みにも弱みにもなる。安堂の行動は常識から外れて見えるが、彼のこだわりや観察力がなければ救われなかった人がいる。これは、働く私たちにとっても大きな示唆だ。

職場におけるサポートの重要さ

安堂が前橋地裁でなんとか踏みとどまれているのは、第一支部のメンバーとの絶妙な距離感があるからだ。部長判事の門倉、エリート判事補の落合、書記官の八雲と荻原、執行官の津村。彼らは安堂の特性に戸惑いながらも、彼を孤立させず、必要以上に干渉もしない。これは発達障害の人が働くうえで理想的な関係性だ。

特に門倉の存在は大きい。かつて“伝説の反逆児”と呼ばれた彼は、安堂の姿に触発され、本来の自分を取り戻していく。安堂の特性が周囲に影響を与え、組織全体の空気を変えていく。この描写は、職場における“多様性の力”を象徴している。
発達障害の人が働くうえで最も重要なのは、特性そのものよりも“環境”だ。
・理解してくれる上司がいるか
・距離感を尊重してくれる同僚がいるか
・困ったときに相談できる人(病院でも可)がいるか
安堂の周囲には、彼を利用しようと近づきながらも影響を受けてしまう弁護士・小野崎、ペースを乱されながらも誠実に向き合う検察官・古川、13歳から寄り添い続ける精神科医・山路など、多様な人間関係がある。彼らの存在が安堂を“裁判官として生きる場所”へとつなぎとめている。

「もし新人時代に、こんな職場に出会えていたら」

ドラマを観ながら、どうしても自分の新人時代を思い出してしまう。
私は某卸売会社に入社し、最初に配属されたのは大きな支店だった。新人が必ず通る膨大な量の事務処理――複数の取引先への請求・支払い、月次決算。残業をしても休日出勤をしても、それでも終わらず徹夜までしてもミスが出て怒られる。マルチタスクができず、処理の順番が頭に入らず、気づけば「できない新人」という評価が固まっていた。
3〜8年目は決算がなく(事務処理でミスっても職場への影響がない)、部下のいない地方支社で苦手な事務処理をなんとか覚えながら、耐えた。この頃の自分には「仕事とは苦手なことを忍耐と長時間残業で耐えるもの」という刷り込みができてしまっていた。

もしあの頃、安堂のように“特性を否定されない環境”に出会えていたら。
もしあの頃、門倉のように“理解しようとしてくれる上司”がいたら。
もしあの頃、落合や八雲のように“距離感を保ちながら支えてくれる同僚”がいたら。

私はもっと早く、おそくとも30代になる前に自分の特性を理解し、強みを活かす働き方を見つけられていたのではないか?または自分を必要以上に卑下することなく働けたのではないか?
ドラマを観ながら、そんな虚しさとうらやましさが込み上げてくる。

「普通って何?」を問いかけるドラマ、『テミスの不確かな法廷』は、発達障害を“特別なもの”として扱わない。安堂は特性に悩み、周囲は戸惑いながらも、少しずつ理解し合い、支え合っていく。

これは、私たちが目指すべき社会の縮図だ。発達障害の人が働くために必要なのは、法律の制度だけではない。
・適度な距離感
・特性を否定しない姿勢
・困ったときに支えてくれる人
・強みを活かせる仕事の仕方

こうした配慮と環境が重要なのだ。
安堂の物語は、こうした“環境の力”を丁寧に描いている。
そして、発達障害の当事者にとっても、「自分の特性は弱点ではない」と感じさせてくれる作品だ。あなたは職場で忘れられない場面はありますか?

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